ホンダと前輪駆動とGPSについて

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「そういえばお義父さんの車って”無限”のステッカーが貼ってありますよね」淹れたてのホットコーヒーを持ってきて、ぼくは言った。 義父の車は、シボレーをベースにしたキャンピングカーで、もう何十年も乗っているような代物だった。 「”無限”ってホンダ車でよく見るカスタムパーツのメーカーですよね?」 もちろんシボレーのキャンピングカーとは関係ない。ぼくがそう聞くと、義父は頷いた。 義父はずっと昔は本田技研に務めていた。そして、かつてはサーキットレース遊びもしていたらしい。 無限は、本田宗一郎の子どもが創業したパーツメーカーだ。義父は説明しだした。資本関係はないが、人的にも技術的にもずっと交流が続いているメーカー。その強いコネクションがあるから、ホンダの技術的な情報もまっさきに来る。それが、他のパーツメーカーと一線を画すアドバンテージとなっているのだ。 カスタムパーツを探すとき、まっさきに選択肢になるのが、本田技研の子会社のブランドである「アクセス」か、無限か、ということになる。そして、だいたい無限のほうが値段が高い。 「それって本当に、モノがいいってことなんですね?」 ぼくが聞くと、義父は半分だけ認めた。確かにモノはいい。使っている部材(マテリアル)にも金がかかっている。カーボンも、表面だけのカーボンではなくて中までカーボンが使われていたりするとかだ。でも、それがなんだっていうんだ?シビアなレースになれば、それが時速数キロの差として現れるが、市販車では、たかがしれているものもある。ブランドイメージやアイコンとしての価値も確かにあるのだろう、と言った。 レースといえば、実際に無限はレースにも参加している。 レースについては、前から存在するホンダのポリシーみたいなものがある、と義父は言う。 ある時期から、ホンダそのものは直接レースには参加しないことにしたってことだ。 代わりに、社外のチームのレースを、しっかりと支援する。 そういえば、もうずっと昔だが、義父もサーキットで遊んでいたりしたのだったか。誰でも知ってるなんとかサーキットとかだ。 義父が言うには、実際に、内部の人間でも趣味でレースを楽しんだりする人はいたそうだ。義父もそうだ。当然、そういった趣味のつながりで大っぴらに所属会社を公言したりしないが、ホンダ内の人間には、いくつかのアドバンテージがあったそうだ。市販車には、走るのに必要のない快適性のための装備がみっしりつまっていて、スピーカーや空調や断熱材などのことだが、本格的に走る場合、そういった重量物をわざわざ取り外す措置をしなければいけなくて、かなりの作業になる。ところが製造途中でまだ内装が貼り終わっていない段階の車体を買うことで、そういった苦労をスキップしたうえで、かなり安くすませることができるんだとか。さらに、その場で言って、溶接のポイントを増やしてもらってボディ剛性を向上させてもらうこともあったんだとか。 サーキットにおいても、やはり内部の人間のほうがパフォーマンスが出ていた。「実際に、突出していた」と義父は言った。 無限のようなパーツメーカーと本体とは、持ちつ持たれつの関係だったのでは、と義父は振り返った。速さに振り切ってしまうと市販価格が上がりすぎる。市販車には安さや安定性といった方向性も大きな価値だ。チューニングは、外でやってもらえばいい。エンジニアのこだわりみたいなものも、外部に逃がすことができる。市販車向けのトレードオフによって生じたエンジニアの”妥協”も、外のメーカーの手をつかって実現させれば良いのだ。

カスタムパーツといえば、ハンドル。 素材の違いや大きさの違い、それにスポークスの違いとか、その表面的な属性だけでもいろいろなバリエーションがある。 ハンドルについても、長い技術的な苦難があったそうなんだとか。 「同じ量を切っても、車によって挙動が全然違う」 それは当たり前にぼくには思える。どれだけ回せば、どれだけステアリングが動くか。そもそも、どういった用途の車なのか、どういった技術の車なのか、どういったフィーリングを意図しているのか、によって、特徴を注意深く設計すべき項目に思える。 かつて日本国内で「ハンドルのまわり具合」を統一しようという動きがあったそうだ。 だがホンダはそれを拒絶した。「ガソリンの給油口の左右さえ国で統一できないのに、ハンドルのような複雑なメカニズムの統一ができるはずがない」とは義父の談。ちなみに他のメーカーと違って、ホンダは一貫して左給油口に統一できていることを誇らしそうに語った。多くのメーカーは「デザイナーの思惑によってころころ変わる」だそうだ。 ふむ。ハンドルってそんなに複雑なメカなのだろうか。 時間を巻き戻して見ると、ホンダはもともと二輪メーカーだったし、歴史的に見ても、まず四輪の自動車よりもずっと前に二輪車があった。二輪車はバーハンドルである。これは、ハンドルの曲げと前輪の曲がりがまったく同じ、一対一になっている。 それくらいはぼくにもわかる。ぼくのクロスバイクもバーハンドルだから。非常にシンプルで直感的なメカニズム。 そこから、自動車になってくる。 二輪車では、人の手で舵を切ることが十分に可能だったが、四輪車では車体重量も増えてくる。そこで、丸ハンドルが登場するってわけ。ハンドルとタイヤの間にギア機構を組み込んで、てこの力を借りることにした。つまり、たくさん回して、小さく動く、である。このギア比はそのままチューニング項目となりステアリング特性となる。もっとあとでパワステが登場するが。 初期の自動車は、となりのトトロに出てくるようなオート三輪。最初のころは、まだバーハンドルつまり一対一だった。やがて、前述の通り小さい力で回せるようにするために丸ハンドルが取り入れられる。オート三輪では、横転事故がとても多かったそうだ。それまでの人々は一対一のバーハンドルに慣れきっていた。運転席が中央に無いっていうのもフィーリングに影響するし、それに日本は左側通行で、左折するときは小回りで、右折のときは大回りっていう左右の回し具合の違いにもこの世代のドライバーは戸惑ったのだろう。ただでさえ3輪でバランスが取りにくい構造。当時は田んぼにオート三輪がひっくり返っている光景が珍しくなかったらしい。 ホンダはこのオート三輪の不安定さを鑑みて、そこには参入せずに、いきなり二輪車から四輪車に入っていくことになる。

運転のフィーリングの違いといえば、ペダルの配置も問題だ。 車種やメーカーによって、クラッチ、ブレーキ、アクセル、の各ペダルは、実は微妙に位置が違っているのだ。当然ながら踏み間違いにつながりうる。 「でも、ペダルの場所って、なんで違うんでしょうか」 デジタル・ネイティブのぼくが思うのは・・・それらは単なるスイッチであり、なにかワイヤーなどで動きが伝わればよいものであって、場所は気まぐれに変わるものなんじゃないだろうか。だが、そうではないらしい。 足元のスペース・・・運転席の奥には、重大な空間上の制約がある。外側すぐの場所にタイヤがあると、そのぶんペダル類は全体的に内側によせなければいけない。ホンダの場合は、前輪駆動だから、タイヤ周辺にはより多くのメカを配置する必要があって、かなり制約が厳しい。後輪駆動車だと、タイヤまわりの空間制約は無いが、かわりに、後輪に動力を伝えるシャフトとクラッチが近くにある必要がある。そういうわけで、統一しようにもできないのだそうだ。 「ホンダは、前輪駆動に強いこだわりみたいなものがありますよね」ぼくは印象を言った。「逆に、前輪駆動といえばホンダってくらいに思います」 義父はそれを認めた。義父の話をきいたぼくのぼんやりした理解だと、前輪駆動は技術的に難易度が高い。後輪駆動のほうがずっと安易だ。前輪駆動車が実用的なレベルに進化するまでには、長い研究の歴史があった。初期のころは動力のロスも大きかったし、曲がらなかった。失敗作も多かった。シビックの登場でようやく完成したとみなされている。前輪駆動はまた部品や設計の流用可能性も低い。設計にも製造にもコストがかかるってわけだ。そして積み上げた研究もあるから、容易には真似できない。それでも、後輪に駆動力を伝達するシャフトが必要無くなるから、人のための空間を大きく確保できるのが魅力的なんだそうだ。 「耐久性も実は全然違う」義父は言った。 前輪駆動車のフロントの内部はミッチリだが、後輪駆動車は内部に空間がありすぎて、スカスカなんだそうだ。だから後輪駆動は衝撃時には派手につぶれることになる。それを補うために鉄板で補強したりもする。事故の場面で、前輪駆動車ははっきりと原型を留めているのに後輪駆動車のフロントはぺしゃんこ、というのはそういうことだそうだ。まあ、どっちが良いかはわからないが。 初期の前輪駆動の技術的な難しさの結果として、タイヤが空転しちゃうこともよくあったそうだ。「ああ、デフ?みたいなやつですか?」ぼくは当てずっぽうで言った。そういうエンジンパワーをタイヤに伝える経路も、空間制約があるから、難しいことのひとつなのだろう。 「空転すると、カーナビがずれる」義父は言った。

カーナビはGPSから位置を取っているから、関係無い、とぼくは思ったのだが。初期のカーナビはGPSではなく、完全に車輪の回転や車の傾き、つまりジャイロセンサー的なもので、位置を計算していたらしい。そういう感じだから、絶対的な座標は知らず、常に相対座標になる。人がつねに、「マッピング」をして位置を調整する作業が必要な代物だった。だからたとえばターンテーブルに乗せて回すと、車の傾きが取れないのに方向だけ変わっているから、完全にナビがずれる。そういえば何かの動画で、フィルムを手で差し替えるとてもアナログ的なカーナビの映像を見たことはあるな、ぼくは思い出した。 GPSができたから絶対座標が取り入れられたことで、そういった問題は解決したように思える。 ところがそうでも無かった。GPSはアメリカ軍がはじめたシステムで、一応地球規模に展開されるけど、お空の衛星はアメリカのものである。 「湾岸戦争のころ、GPSの座標がすごくずれて、海の中を走ってる表示になったことがあった」義父は言った。 GPSの信号は基本的にスクランブルされていない垂れ流しなので、日本も含めて、誰でもその電波を拾うことができる。戦争のときには、相手に意図的に誤情報を与えるために、信号に乗せるデータをあえてずらしたりするのだ。味方には、いつどのようにずらすのか補正情報を渡すってわけか。それに、やっぱり日本のためのものではないので、日本上空を通るルートが手薄。となると、遠くにある衛星の信号をキャッチしなくてはならず、誤差も大きくなる。とくに、衛星が斜めの位置にいると、高さを誤認しやすい。真上にいるのがいちばんいい。もちろん衛星軌道もあるから、そんなに都合よく真上に滞空はできないのだが。アメリカもビジネス競争力を確保するために精度を向上させたり(意図的に混ぜていたノイズを無くした)、日本もGPS互換の衛星を打ち上げるなどして、日本国内はだいぶ良くなったらしい。

カーナビといえば、ぼくが普段乗っているホンダ車にはギャザズというナビが搭載されていて、これが「アクセス」だ。 しかも型落ちの中古車に乗っているので、車についているギャザズも古くて、最近のデジタルプロダクトに慣れているとだいぶ苦痛に感じるインターフェースだ。カーナビなら、GoogleMapsで十分かな、と思うことも少なくない。実際、両方併用しながら走ってる。義父も、両方併用していると言っていた。 GoogleMapsは無料で使えるし、カーナビにお金をつぎ込むことも無い。そういう考えもわかる。 義父は国防的な視点からするどく言う。「国の地理的な情報が漏れるのはまずい」。例えばアメリカはGoogleMapsなどで国の重要拠点の情報を必要以上に晒さないように、情報に気を遣っている。日本はそういうことに頓着しない。走行データも重要だ。カーナビを使うということは、そのメーカーが走行データを抱え込むことになる。走行データがわかれば、国のジオメトリが把握できて、弱点もわかる。GoogleMapsを使えばそれがアメリカに筒抜けになるし、一番危ないのは中国だ。もっとも、どちらももう手遅れだが。 「GoogleMapsを使うと、なぜか最適じゃない経路を通らされることも珍しくない」義父は不満げに言った。 それはぼくも身に覚えがあるし、エンジニアとして、想像できる世界がある。ギャザズのような買い切り製品では、アルゴリズムは車のうえで走る。もしかしたらメーカーのサーバーかもしれないけど。どちらにせよ、日本の組み込みソフトウェア事情を考えると、それほど活発に改善なんてするはずが無いのだ。それは商習慣がそうなっているし、一度売ったソフトの挙動を勝手に変えるのもおかしな話なのだろう、SaaSじゃないんだから。一方でGoogleのほうを想像すると、その技術的な特性が思い浮かぶ。Googleといえば分散処理の大御所だし、頻繁にデプロイもするしで、それらを調停する技術を伸ばしてきた。だからタイミングによって結果が変わるとか、処理の失敗があるっていうのはGoogleの世界観ではよくある話だ。それにAIも関係しているかもしれない。AI推論がもし関わっているとしたら、それは、実行するたびに結果がゆらぐ性質を持っていてもおかしくない。GoogleMapsはきっと実験場だろう。

それから少し自動運転技術のことを話したり、AI全般についても話をした。

「そういえばお義父さんはレースゲームをするんですか?」 「ヤリス?」 「レースゲームです」一文字も合ってない。 「昔はしたよ」 サーキット遊びを経験していた義父にとっては、もちろんお遊びみたいなものなのだろう。「ゲームって、壊れないよね」 ぼくは気に入っている2つの対極的なゲームを紹介した。「Dirt Rally」シリーズと「Forza Horizon」シリーズだ。 Dirt Rally は、ちゃんと壊れる側の、リアリティ設計の代表格、だと思う。プレイヤーはゲームを通して、ラリーの一連の「シリーズ」を戦うことになる。雑な運転をするとすぐに車が壊れる。そこでプレイヤーはコストを支払ってリペアするか、そのまま走るかを選択することになる。なにせシリーズは長いからだ。1レースで終わりじゃない。壊れ方も豊富で、エンジンだのラジエーターだのタイヤだの、タイヤもグリップがちゃんと減る。運転のアシストも弱めだから、技術が要求される。本当に難しいゲームだ。 Forza Horizon はもっとずっとカジュアルだ。オプションがあるものの、デフォルトでは、車は壊れない(見た目だけ壊れる)し、Rewind(モドレコ)で何度でも巻き戻せる。アシストもかなり強力で、ドライビングラインは秀逸。まったくの素人でも楽しめるし、しっかり奥が深い。 単にシミュレーション性を強くすると、ハードすぎて、コア向けでぜんぜん売れないゲームになる。逆にカジュアルにすると、確かにリアリティは損なわれるけど、よく売れるゲームになる。そして、大衆は気持ちよく走れて楽しい後者に集まる。ぼくだってそうだ。Dirt Rallyは本当にいらいらする。そうした、リアリティと経済性のメカニクスをぼくは義父に説明した。 義父は昔、ゲームショーか何かで、グランツーリスモシリーズの初期の頃の作品を体験したことがあった、と語った。 その運転っぷりは本物さながら。それもそうだ。そのなんとかサーキットの実物を何度も実車で走り込んだのだから。ソニーの担当者が驚いてビデオを撮影したほどだった。 義父はゲームではなく、ラジコンカーに熱中していた。 ラジコンカーは、サイズ感こそ異なるけど、基本的な挙動は実車と同じである。 小さな車体の場合は、グリップを稼ぐためにスポンジタイヤにしたり、実車ではありえないウイングをつけて空力でグリップを稼いだりが重要になってくる。大きな車体の機種では、ゴムタイヤが使われる。いずれの場合も実車と同じで、タイヤはグリップの限界を超えればスピンするし、ミューが低ければ滑りやすい。その限界を見極めるのが肝となる。 でも、リモコン越しでその微妙なフィーリングが本当に得られるのだろうか。PS5のDualSenseのアダプティブトリガー機能じゃあるまいし。ぼくは疑問に思ったことを聞いてみた。 それは義父も不思議に思っていたが、自然と身につくらしい。つまり、目で見た車体の挙動と、指での操作量とのギャップをなんとなく感じ取ることで、ああグリップしそうだな、とかがわかるようになるそうだ。予兆がわかれば、カウンターもあてやすい。義父は、ラジコンヘリでもそのように変化の予兆を感じ取れると言う。ヘリの場合、不安定な屋外の大気を相手にすることになる。たとえば周囲の木の揺れ方などを感じ取って、ああ風が来るな、と予感して、ぴったりのタイミングでカウンターを当てて姿勢維持ができると気持ちが良い。そんなふうに語った。 そんなこんなで、会話を切り上げた。